トロッター展開を導く理論と数式
§ この記事の目的
第四回量子説明コンテスト「量子断熱時間発展とトロッター展開」のトロッター展開について、数式や理論を確認してみたいと思います。
§ 量子断熱時間発展について
量子断熱時間発展については、以下の投稿記事の章番号「3. 量子断熱計算(QAA)を引用する」に解説してみましたので、そちらを参照して頂けましたら幸いです。
■量子コンピュータの応用 - QAOAの仕組みとこれを応用した組合せ最適化問題のプログラミング(blueqat編)
https://blueqat.com/tetsurotabata/3a8425d5-68a3-4a8b-9773-2c3940bf5898
§ トロッター展開とは
書籍によっては「鈴木・トロッター展開」や「リー・トロッター積公式」と書かれたりします。
数学の「リー群」や「リー代数」の分野で出て来る式で、実正方行列または複素正方行列について、以下が成り立ちます。
定理
2つの同じ次数(行数と列数が等しい)の行列X及びYを実正方行列または複素正方行列、kを整数として、
k→∞lim{exp(kX)exp(kY)}k=exp(X+Y)(式1)
ここで注意が必要です。ここで論じられるのは、行列を指数に取り入れた際の数式で、指数行列や行列指数関数などと呼ばれ、私たちが高校などで学習した実数の指数とはルールが異なります。
指数に行列を入れるということ自体が想像を絶する世界ですが、一から定義を確認すれば納得できるものと言えます。
トロッター展開式がどのような根拠で導かれるのか確認します。
§ 定義及び公式を確認
行列指数関数についていくつかの定義及び公式を確認します。
定義1
文字式を以下のように表すことがありますが、この記号O(アルファベットのO)をランダウ記号と呼びます。
例えば O(t3)と書くと、高々tの3次の文字式を意味します。
O(t^3)\quad(定義1)\\
[例]\quad O(t^3)=3t^3+\frac{2}{5}t^2+\sqrt{5}t+8
定義2
行列の指数関数の定義です。tを実数、Xを行列として以下のように定義します。
etX=k=0∑∞k!1(tX)k(定義2)
定義3
行列の対数関数の定義です。Eは単位行列です。
logX=k=1∑∞k(−1)k−1(X−E)k(定義3)
公式1
tを実数、Xを行列として、以下の公式が成立します。
(eX)t=etX(公式1)
定義4
行列X,Yを用いて[X,Y]と書き、記号[,]を交換子と呼びます。
交換子は以下のように定義します。
[X,Y]=XY−YX(定義4)
さらに、XY-YX=Oが成立する場合、XとYは可換であると言います。
公式2
X,Yが可換である場合、以下が成立します(一般には成立しません)。
eX+Y=eXeY(公式2)
公式3
ベーカー・キャンベル・ハウスドルフの公式
etXetYを以下のように書き直すことができます。
etXetY=exp(n=0∑∞cntn)(公式3)
特にc0~c3を示すと、以下のようになります。
c0=Ec1=X+Yc2=2[X,Y]c3=121[X−Y,[X,Y]]
公式4
行列Xの対数の指数と取ると、行列そのものになります。
exp(logX)=X(公式4)
§ トロッター展開を導く
トロッター展開を導く前に、以下の補題を確認します。
補題
etXetY=exp{t(X+Y)+2t2[X,Y]+O(t3)}(補題)
まず、定義2を具体的に展開してみます。
etX=k=0∑∞k!1(tX)k=0!1(tX)0+1!1(tX)1+2!1(tX)2+...=E+tX+2t2X2+O(t3)(式1)
etYも同様に展開します。
etY=E+tY+2t2Y2+O(t3)(式2)
ここで、Zを以下のように定義します。
Z=etXetY(式3)
Zについて、(式1)(式2)を用いて計算すると、
Z=etXetY=(E+tX+2t2X2+O(t3))(E+tY+2t2Y2+O(t3))=E+t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)(式4)
次に、etXetYについて、logを取ることを考えます。
logetXetY(式5)
(式3)を代入すると、
logetXetY=logZ(式6)
(式6)の右辺について、(定義3)を用いて展開すると、
logZ=k=1∑∞k(−1)k−1(Z−E)k=1(−1)0(Z−E)1+2(−1)1(Z−E)2+O(Z3)=(Z−E)−21(Z−E)2+O(Z3)(式7)
(式7)右辺のZに(式4)右辺を代入すると、
logZ={E+t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)−E}−21{E+t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)−E}2+O(Z3)(式8)
ここでO(Z3)について、
O(Z3)=3(−1)2(Z−E)3=31{E+t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)−E}3=O(t3)
とします。
(式8)をさらに展開して、
logZ=t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)−21{t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)}2+O(t3)=t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)+O(t3)−21{t2(X+Y)2+4t4(X2+2XY+Y2)2+t3(X+Y)(X2+2XY+Y2)+O(t3)}=t(X+Y)+2t2(X2+2XY+Y2)−2t2(X+Y)2+O(t3)=t(X+Y)+2t2{X2+2XY+Y2−(X+Y)2}+O(t3)(式9)
(式9)の以下の部分を計算すると、
X2+2XY+Y2−(X+Y)2=X2+2XY+Y2−(X+Y)(X+Y)=X2+2XY+Y2−(X2+XY+YX+Y2)=2XY−XY−YX=XY−YX=[X,Y]
上式を(式9)に用いて、
logZ=t(X+Y)+2t2[X,Y]+O(t3)(式10)
(公式4)を用いて両片のexpを取ると、
exp(logZ)=exp(t(X+Y)+2t2[X,Y]+O(t3))
左辺はZとなり、(式3)から、
etXetY=exp{t(X+Y)+2t2[X,Y]+O(t3)}
これで補題を導くことができました。
最後に補題について、
とおいて代入すると、
exp(kX)exp(kY)=exp{k1(X+Y)+2k21[X,Y]+O(k−3)}
両辺をk乗して
{exp(kX)exp(kY)}k={exp(k1(X+Y)+O(k−2))}k=exp((X+Y)+O(k−1))
上式では(公式1)を適用しました。
よって、(式1)を導くことができます。
k→∞lim{exp(kX)exp(kY)}k=k→∞limexp((X+Y)+O(k−1))=exp(X+Y)
トロッター展開の導出は以上です。