はじめに
もともとふつうのベンチャーでしたが、2014年に量子コンピュータにピボットしてからはすくすく会社が育ち、向いてることをするのは大事だなと感じてます。
Qiitaはポエムを書かないといけないらしい(多分)ので。おそらく日本初の量子コンピュータベンチャーとしてまず五年目までに気づいたことを書いてみます。
もともとはデザイン会社
もともとうちの会社はデザイン会社でした。出身が建築事務所だったので、そのまま2009年に独立してデザインをしてました。建築時代はphotoshop+autocadを使っていました。イラレはいまだに苦手です。
前の建築事務所は隈研吾建築事務所というところで、青山の美術館の設計や中国のアリババの社屋のコンペなどを主にしていました。
建築は当時CGパースも仕事がたくさんありましたので、CGのモデリングやレンダリングをやりながら当初は生計を立てていました。ただ、リーマンショックの直後だったのでデザインの仕事が少なく、CGで食いつないでました。使っていたツールはvectorworks + 3dsmax + vray でした。
建築デザインからスマホへ
最初の転機はスマートフォンの登場で、とある有名なJリーグのチームの公式スマートフォンサイトを短期で仕上げて欲しいという依頼からきました。東日本大震災で仕事がストップして時間があったのでCGの単価も下がるし少し悩んでいた時代でした。当時はまだスマホも出たばかりで仕様も固まっていない時代でしたが、基本的にはhtml/css/jsを組んで行けば良いので、大学時代の知識を元にこちらから提案しながら進めていき無事納品となりました。こちらはフルスクラッチで、DBとかは無かったので全てhtmlで仕上げました。
先方はパースができるからウェブもできるだろうと勘違いしたのですが、結果的にスマホの仕事が急激に増えてそちらにピボットして売り上げが少し伸びました。2011年ごろかと思います。
もともとデザインをしていたのでそのままWebデザインをして、ふつうのレンタルサーバーを借りてhtmlを書いてました。システムは作れないので、システムぽいものが求められるときはftpとwordpressを使って納品してました。
取引先の企業は売り上げ10億前後の会社が多かったです。
ウェブデザインからシステムへ
2013年ごろになるとだんだん仕事も増えてきて中小企業よりも少し大きめな会社に呼ばれるように。その頃は少し既にデザインの限界を感じていました。クライアントの主観で納期や仕様変更が多く、納期がずれると利益が変わるからです。事前に段取り良くやってもいくつかのプロジェクトは仕方ない理由で遅れてしまうのであまり、目に見えない仕事が良いなと思い始めてました。
その時売り上げが200億くらいの企業に呼ばれました。実際はインテリアで呼ばれたのですが、ついでにウェブもさせてもらいました。
このサイズの企業になると担当者がついてKPIにアクセス数や売り上げ、効率性を求められることに。これまではオーナーや担当者の好みで決まることが多かったので少しびっくりしました。物事が決まる速度が少し遅くなるのでキャッシュは一時的に厳しくなりましたが、やってみることに。
それまでwordpressしかしたことなかったので、今考えると恥ずかしいですが、wordpressしか使えないので最大限当時のwordpressの能力を引き出すことに。
まず、レンタルサーバーでの動きが遅いのが当時の悩みでしたが、調べてどうやらNginxを使うと速いというざっくり意識でウェブサーバーを選べるサーバーを始めた用意しました。
インストールを調べて動かしてみると、、、めちゃくちゃ速い!これは今後流行るなと思いました。
速いのは正義ということで、スマホの技術も手伝ってhtml/css/jsの読み込み順番やなるべく使わない機能は読み込まないという当たり前のことをして、かつトップページから法人営業の問い合わせフォームまでの最短経路をgoogle analyticsを使って徹底的にチューニングしました。
用途は法人営業と採用窓口用のサイトだったのですが、UIUXの速度や少しウェブサーバーやキャッシュ速度、さまざまな当たり前をきちんとやった結果、なんと最初の一週間でサーバーが落ちるほどの大量アクセスでめちゃくちゃ受注が。本当にサーバーが落ちて怒られました(派遣スタッフのログイン導線だったため)。
しかし、これまでデザインで散々やり直しさせられてた時代からして、アクセス数が増えるとさまざまな仕事が舞い込んできて、結果が出ればこの世界は許されるのだと感じ、システムを極めることにしました。デザインよりも仕様を決めるほうが大変なのですが、生活のためには変えられません。
Googleからの問い合わせが転機に
しばらくすると会社の法人営業の方から、なんかGoogleという会社から問い合わせがあるという話に。断ろうと思うけどどう?と言われ興味があるので話を聞いてみたいと言って会うことに。
内容はその企業のアクセス数が多いので広告に興味ないかという営業だったのですが、今でも忘れもしない彼らが持ってきた資料に衝撃を受けました。
ついその前日に大手の広告代理店からクライアント向けの資料を作るとのことで、相談をしていて日本企業のアドバイスは出来るだけ使ってる人が自分の仕事に利益があるような気分にさせるような資料作りを丁寧にと言われてました。ページ数もたくさん用意してクライアントが細かいところまで目を通せるようにということでした。
しかし、Googleの持ってきた資料には衝撃を受けました。たった一枚のスクリーンショットと、その下に簡単な一行の数式だけです。
しかし、その資料は見れば誰もが納得するもので断る人は少ないだろうなと感じさせるものでした。前日に時間をかけて資料作りに悩むいっぽう、こんな簡単な資料と数式でクライアントのほとんどを納得させられるとしたらこれはすごいことだと感じ、自分の中で考え方が大きく変わりました。
それから、自分はシステム自体だけでなくその背景に動くアルゴリズムを改善し、同じものでもより高速で精度の高い効率的なものを作った方が勝つのだと感じました。
技術は相変わらずなかったのでwordpressとmysqlを使ってwordpressの延長でアルゴリズムを使ってました。2013年です。
取引先が買収されて金融へ
そうしてアルゴリズムの開発を始めて少しすると、その取引先企業が大手のキャリア企業に買収されることになりました。それまで自分でやってきたウェブやシステムの仕事を引き継ぐことになり、仕事がなくなったのでクライアントからその買収されたお金の一部をアルゴリズムで運用できないかと相談が来てそれをやることにしました。
当時ゴールドマンを辞めた友達も誘って一年ひたすら金融工学とシステムについて学ぶ時間ができたので、それを始めました。今の会社のドメインも.comに変えて金融にしようと思い、現在のmdrft.comに。
ftはFinancial Technologyの略です。
日本で素人が金融工学を学ぶのは結構大変で、アメリカの知り合いにきいたり、国内の人に聞いたりしてましたが、基本的には理論はアメリカがほとんどで日本はそのツールを運用するのが主流とわかり、仕方ないので自分でシステムを作り始めました。
当時はLTCMやルネッサンステクノロジーズやD.E.Shawというヘッジファンドの本を読みまくってヒントを探しました。
理論面ではどうやらブラックショールズやモンテカルロシミュレーションがキモになるのはわかったのですが、どうやら理論が古くてモデルはやり尽くされており、計算リソースも莫大にかかり、かなり消耗戦に入ってる感じがしました。このままではかなりの元手がかかるため、なんか効率的な方法はないかなと探していました。そこで見つけたのがD-Waveです。2014年です。
モンテカルロと量子コンピュータ
モンテカルロ計算が金融にとって大事と同時にGoogleの検索システムやフェィスブックのネットワーク計算など、もしかしたら1990年代と2000年代初頭の発展はアルゴリズムとグラフ理論、モンテカルロ計算によって成し遂げられたのではないかと考えるようになりました。
僕のやっていたCGのレンダリングも全て確率計算によって莫大な結果を残してハリウッドなどの産業も伸びていたのではと思い、モンテカルロとグラフ理論に注目するようになってました。
D-Waveは当時の記事ではネットワーク型の回路を持ち、それらを高速に超電導でとくとありましたので、そこに注目しました。当時はまだ国内でD-Waveをやってるところはなかったのですが、大学の先生に相談してそのまま物理工学の校舎で話を聞き、詳しそうな方(現在早稲田大学の田中宗先生)を紹介してもらえました。
そこからなんとか量子コンピュータの突破口を探しましたが、国内ではどうやら情報が不足していて、カナダに出張の機会があったのでD-Waveの本社を訪ねて色々聞くことができました。2015年です。
D-Wave訪問
D-Waveへは2015年の4月ごろに行きました。トロントで仕事を終わらせたあと、急遽寄ろうと思ってD-Waveに問い合わせたらOKがでたので、帰りの飛行機の乗り換え時間を使ってバンクーバーから向かいました。
バンクーバーはとても綺麗な街で、軽井沢に高層ビルが立っているようなところでした。そこからバスで1時間ほど行ったブリティッシュコロンビア工科大学の隣にあります。社屋の横には小さな川も流れていてこちらも自然が多くて軽井沢に都会がある感じです。
D-Waveの本社の入り口を入るとD-Wave3という次世代のチップが展示してありました。結局その後D-Wave2000Qと名前を変えることになるのですが、当時はD-Wave3という名前でした。社屋に入るとハードウェア責任者が出迎えてくれて、社屋を案内してくれました。写真で見るよりもずっと大きくてD-Waveのマシンが5,6台近くあった気がします。ちょうど次世代チップへの換装をしている最中でした。
よく訪問者はあるようで、よく出てくるマシンの横の扉から中に入れてもらいました。第一印象は「なんて安っぽいんだ」という感想と「すごいきがする」という不思議な感覚でした。最新機器がある中で1台だけ煙がもくもくと出ているのがあり、それが旧世代機で液体窒素で直接冷やしているという希釈型ではないものと説明していました。責任者もそのマシンが一番好きらしくて、ノスタルジーを感じるんだと説明してました。
一通りD-Waveの歴史からチップのキメラグラフに到るまでの歴史を聞いて、動作原理を聞くとようやく頭の中にすべて原理がぴったりと思い浮かび、日本に帰ってソフトウェアを作ることに。やはり本物を見るという機会はとても大事です。。。
D-Waveを再現、量子アニーラアプリケーションを構築
日本に戻るとみたものをなんとか自分の力で形にできないかと考えるようになりましたので、自分の持ってるjavascript+html+cssをつかってbootstrapでD-Waveの計算を再現するシミュレータを作りました。
2015年初頭に2週間くらいで集中して作りました。
これは、こちらにも公開しています。
https://minatoyuichiro.github.io/graphcoloring/
これがうまく挙動を再現して問題も解けたので、これを量子関係者に配布しました。さらにこれを発展させて、量子アニーリングのシミュレーションを可視化できるものも作りました。
こちらです。
https://minatoyuichiro.github.io/js_annealing/
これを作ったことでさらに話が進みました。
量子アニーリングの周知と総務省異能vation
これを作ったのですが、今度はだれも量子コンピュータや量子アニーリングを知りません。せっかくいいものを作ったのに、告知してもだれも理解してくれないのでなんとか有名にしようと思いました。そこでたまたま見つけた総務省の異能vationに応募して、上記のシミュレータを見せたところ無事通りました。
https://www.inno.go.jp/h27/adoption.php
これに通ったことで、さらにシステムサイズを大きくしたり並列化したり、スパコンを使ってGoogleでの国際会議にも参加することができました。ただ、正直このころが金銭的に一番大変でした。量子コンピュータ向けのアプリケーションを作るために受託を大幅に減らしていたので、仕事を犠牲にして自社サービスを進めることでかなりの苦境に陥りました。最終的には160円の電車に乗れないので毎日歩いて渋谷から都心まで毎日往復2時間かけて歩くような生活をしていました。
GoogleLAへ
総務省の異能vationでは散々スパコンやGPUを活用して研究をしました。また、アプリケーションは誰でも使えるようにjavascriptでできあがっていました。そして、成果としてAQC2016@GoogleLAに参加させていただき、世界の壁を見ることに。。。
LAのヴェニスビーチというマッスルパークのある街で、GoogleLAの社屋で量子コンピュータの国際会議があり、総務省の予算で行ってきました。航空券とホテルは予算でとってもらいましたが、あまりにお金がないので1万円だけ握りしめて、家を出て銀座から1000円バスで成田空港に向かい飛行機へ。LAの空港からホテルへはなるべく安くタクシーで。ホテルに着いたらデポジットでクレジットカードを通さないといけないけどもっていないので、チェックインから半日待って日本が朝になるのを待ってから、電話して事務局にクレジットカードをネット経由で切ってもらうような感じで過ごしました。。。
滞在は一週間ほどでしたが、食事は初日の夜のパーティーや食事、最終日の食事、そして期間中の朝食や昼食はすべてGoogleが手配をしてくれたのでお金がかからず助かりました。さらに、最終日はGoogleの秘密の研究所見学ツアーに連れて行ってもらい、世界中の研究者がバスに乗ってサンタバーバラへ、帰りは特別にそのままバスで空港まで送ってもらって交通費が浮きました。
当時はちょうどD-Waveがでてきていて国内であまり使っている人はいなかったのですが、国際会議ではすでに海外の人たちはD-Waveを散々使いこなしていて、国内組はシミュレーションでやっていたので、その発展速度の差を感じました。すでに海外では量子アニーリングはやり尽くされていて、一部の人たちはすでに量子アニーリングに見切りをつけて次に進んでいるというのが衝撃的でした。
その時にGoogleNASAの人に声をかけられてNASA AmesのD-Waveを使わないかというお誘いをもらって、そのまま帰国しました。会議の内容は覚えてませんが、食事とバスで送ってもらった恩は覚えているので食事で人の心を動かすのだなと学びました。
ヤル気を失った半年と機械学習の成功
海外は実機を使っているのに、国内ではシミュレーションで頑張らざるを得ないという状況で圧倒的な差を見せつけられてその後総務省のプロジェクトは十分な成果を出しながら、やる気が半年くらいありませんでした。。。しばらく量子コンピュータから離れておざなりになっていた仕事に復帰して総務省の成果をもとに、動画キュレーションサイトのシステムを全面的に改善することに。
動画キュレーションサイトはたくさんの動画の附帯情報を表示させながら動画を並べて、かつスマホに最適化し、お勧めを表示してさらに動画を見てもらうというもので、大手のキャリアで運用されていました。
出来るだけインターフェイスをシンプルにして、jsやcssやhtmlはできるだけ軽く、forやif文をできるだけ無くして、数学的に美しく高速に軽量に作ることを目指しました。
附帯情報のテキスト情報を分析し、それをキーワード毎に分割して類似お勧めを提示するとともに、トップページには動画の1時間毎のトレンドを取得し、その微分係数の大きいものから順番にランキングをつけることで軽量高速でコンバージョンの高いものを作りました。
また、キュレーションメディア向けにも提供がきまったことで、htmlのhead情報にキュレーションメディアやSNS向けのタグの最適化やウェブ構造の最適化、一部AMPの仕組みを取り入れてとにかくモバイル向けに最適化しました。
また、当時使っていたのはphpですが、速度を調べて、nginx+phpは意外ときちんと作ると早いということで、フロントエンドのjsに負担させるプログラムとphpの負担するプログラム、APIを通す部分・通さない部分などかなり速度にこだわり、それまでのサーバースペックの1/10以下のスペックで5倍高速なものをつくることができました。
かなりの最適化をしたため、外部のAPIとのやり取りやバッチ処理での1時間毎の機械学習など負担が増えた部分もありましたが、運用コストを大幅に抑えて高速なウェブを作ることができました。
そうこうしているうちに最初の1ヶ月はなんともなかったのですが、2ヶ月目から急激にスコアが伸び、特にキュレーションメディアへのタグの相乗効果が働き、その後リニューアル開始から5ヶ月だけで年間のKPIを突破することができました。
アルゴリズムだけでなく、総合的にやるべきことをきちんとやるということを成し遂げたおかげでかなりの成績を残すことができ、改めて機械学習のすごさを思い知ることになりました。使った技術はhtml/angular/css/bootstrap/php/mysql/nginxで、phpはスクラッチでした。2016年の末です。
大きなプロジェクトへ
その後javascriptで書いていた量子アニーリングのプログラムが関係者内を回っていた時、IBMが量子コンピュータのクラウドシステムを発表し、一気に量子コンピュータ=クラウドで発表という流れができてきました。ちょうど自分のjavascriptのシミュレータが数年前にできていたのでそれをみて大きなプロジェクトへとお誘いをいただき、その後そのプロジェクトは無事無事故で遂行することができました。
プログラム・マネージャー補佐 | 実施体制 | ImPACT Program 量子人工脳を量子ネットワークでつなぐ高度知識社会基盤の実現
総務省異能vationから内閣府のプロジェクトへ。2017年-2019年3月まで内閣府ImPACTプロジェクトのPM補佐を行うことになりました。
ImPACTプロジェクトは自分のプロジェクトではないのであまり喋りはしませんが、とにかく日本の最高頭脳が結集して進めるというとんでもないプロジェクトでした。正直GoogleLAで聞いた国際会議よりも国内のImPACTプロジェクトの会議の方が内容が高度で面白かったくらいです。
色々な批判を浴びながらもクラウドシステムと量子マシンを運用するという世界でも先進的な取り組みは成功し、世界中の人に先進的な技術を実際に使ってみてもらうということを達成することができました。
その時感じたのは、「本物のマシンというのは格別な感動がある」ということでした。ソフトウェアに取り掛かっていた自分として量子アニーリングで感じたハードウェア不在の敗北感と、今回のハードウェアでの知識が元となりその後自分でもハードウェアを作ろうと決心しました。2017-2018年はMDRにとっては完全にステルスで愚直に日々新しいシステムの実装に取り組んだ日々でした。
ベンチャーとして飛躍
2017年に内閣府のプロジェクトでクラウドシステムの運用が始まり、その後1年無事故で運用が終わるのと同時に、量子コンピュータの盛り上がりが国内でも広まっており、かなり先行して開発ノウハウをためていたMDR社が一気に伸びることになりました。当たり前ですが、世界中でもベンチャーでアプリケーションからシステムまでのノウハウが2017年段階ですでにあるという企業はそうそうありませんでした。
MDRが昨年成し遂げたこと
D-Wave契約
AQC参加
GoogleNASA論文採択
三菱UFJ銀行様と共同研究開始
文科省Q-Leap参加
特許庁IPAS参加
NVIDIA/MS/IBM/AWSなどからの支援
Microsoft Innovation Award2018特別賞
独自設計の超電導量子ビット開発
SBI様から約2億円資金調達
IBMQと日本ベンチャーで初契約
活躍できたのはいうまでもありません。実はもうすでにアプリケーションからクラウドシステムまで全ての技術が2017年段階で揃っていたからです。他社に先駆けて3年は早かったです。D-Waveのシミュレーションシステムも2018年に注目され始めましたが、2015年段階ですでに完成をしていました。
MUFGデジタルアクセラレータの転機
2018年には大きな転機が訪れます。MUFGデジタルアクセラレータです。
https://www.bk.mufg.jp/info/pdf/20180316_mufgdigital.pdf
もともと金融計算からスタートして量子コンピュータに入った身として、金融計算に触れる機会がもらえることはとても貴重な体験でした。これまでのクライアントは量子コンピュータ企業であるという特別扱いによって色々優遇されてきましたが、MUFGアクセラレータではそういう優遇は全くなく、客観的な視点で量子コンピュータをどう事業化へもっていくかというそれだけに集中しました。
その結果出たのは、量子ゲート方式への移行でした。
正直弊社の技術としては量子アニーリング方式を採用していたので、量子ゲート方式を採用するという予定は全くなく、MUFGデジタルアクセラレータは当然実績のある量子アニーリング方式で進めるものと思っていました。しかし、蓋を開けてみると銀行さん側の求める技術仕様は当時の量子コンピュータ業界の求める仕様に比べると数段上のものとなっていました。
それらの要求仕様と事業化を鑑みると、最終的に三菱UFJ銀行様がIBMQでの量子コンピュータの活用を始めるというタイミングもあり、MDRも必然的に事業計画を立てて量子ゲート方式のより難易度の高い、技術要求の高い方へとシフトを始めました。
これはとても銀行さんの指導がなければ判断できなかったことで、これもとてもMDRにとって大きな転機となりました。これ以降、MDRは量子ゲート方式のマシンを活用するということに集中してきました。結果としてまさかの量子コンピュータというテーマで準グランプリを獲得することができ、量子コンピュータが世間に認められつつあるのだという認識を持つことができました。
超電導量子ビットの作製に成功
MUFGデジタルアクセラレータでの成功と並行して、実機の感動を伝えたいということで着々と本物の量子コンピュータを作るというプロジェクトが裏で進んでいました。実際には大手の技術者が入社してくれて全てその部分を担当してくれています。実はきっかけはある会議で外部の超電導技術者が話した一言で、MRAM技術が近いかもという話をしていて、たまたまMRAM技術者が超電導をやりたいというのでもしかしたらできるかもと思い、お任せすることに。
結果として、MDRでは2018年12月に本物の超電導量子ビットの開発に成功し、国内の量子コンピュータ商用化に向けて道筋をつけることになりました。2019年現在ではますますハードウェア開発の重要性は増しており、外部からの技術者の獲得を通じてハードウェアチームの拡大が進んでいます。
https://mdrft.com/2018/12/13/qubit/
調達とさらなる事業化へ向けて
2018年9月にSBIインベストメント様から調達をいたしまして、約2億円の調達をさせていただきました。それまでほぼ自己資金で進められていたので調達が必要かどうか迷いましたが、量子コンピュータ開発が加速度的に世界で進んでおり、時間を買うという意味で調達をしてよかったなと現在も思っています。
調達をして考えが変わったのが、受託からサービスへの切り替えです。投資を受けるということは基本的にはお金を預かりそれを増やす必要があります。お預かりした投資に対してのリターンの利率は大きい方がいいのは当然です。自己資金で時間をかけて行う代わりに、大事な皆様の資金をお預かりして大きく羽ばたく機会をいただいたので、それを最大限活用して前に進むとともに、受託だけでは預かった資金を大幅に増やすことができないというジレンマに陥りました。
そのため、出来るだけ短期間で頑張って道筋をつけ、受託から脱出してサービス開発をしないと行き詰まるという気持ちに行き着きました。それと同時に世界的な競争が激しくなってきたため、何をすればいいかがだんだん明確になってきます。
世界のトップベンチャーへ
現在なんとかMDRはベンチャー企業として世界のトップチームに入ってなんとかやっている状態です。2つの部分で世界に食い込んでいます。
Software Partners Companies - Quantum Computing ReportSoftware/Startup...
1つはソフトウェア。ソフトウェアは大手のハードウェアチームとベンチャーのソフトウェアチームのタッグが一般的です。世界で20社程度のベンチャーが機械学習や量子化学計算などでしのぎを削っています。
カナダと北米が最も多く、日本国内はMDRだけですが、なんとか機械学習と最適化で多くの成果を残せるように頑張っています。
2つめはハードで、そもそも世界で量子コンピュータが作れるベンチャーはD-Wave,Rigetti,QCI,MDRなど数社しかありません。そのため必然的に注目がされます。超電導量子ビットで磁束量子ビットのアニーリングと汎用トランズモンを両方作っているのは世界でMDRとGoogleとMITだけで、民間ではGoogleとMDRだけです。
今後はより汎用マシンに力を入れてなんとか世界での存在感を維持したまま世界最高の量子コンピュータ企業を足がかりに世界最高のIT企業を目指したいと思います。
深層学習や機械学習も
量子コンピュータをやるにはPythonを使います。特に量子ゲート方式は技術の塊ですので、量子ゲート方式をやるということは必然的に現時点での世界中の最高技術を集結して作ります。アプリケーションやシステム、ハードウェアの全てに置いて既存の古典計算機の技術が必要です。
その際に必要な技術の副産物として最近最適化や機械学習、深層学習などの技術が急速についてきていて、深層学習や機械学習においてもステルスで多くの巨大プロジェクトを進めています。これらも量子コンピュータとの統合が進んでおり、来年以降発表できるようになるでしょう。
個人的には量子ゲート方式は世界最高レベルを目指すために必須の技術だと思います。
本題に戻って量子コンピュータエンジニア
量子コンピュータエンジニアの変遷は、htmlからのスタートでした。最近では苦手ですがpythonをきちんとやらないといけないことになってきました。html/jsはウェブ経由で実際に人に使ってもらえるという利点があり、誰でも量子コンピュータを身近に感じてもらうために必須の技術かなと思いました。特に量子コンピュータとフロントエンド技術を両方取得しようという人は少ないので、今後はその辺りをターゲットにしてどれだけ量子コンピュータを伝えられるかという仕事を重視する人も増えるのではないでしょうか。
世界と戦うには
考え方は2つあると思います。国内できちんと求められたことをやるという方法。最近AIで流行っている受託型のビジネスです。リスクも少なく、縮小する国内需要の中でAIで稼ぐという方法です。こちらは国内のメガベンチャーといわれる企業でさえこのパターンが多いです。
一方で、国内をそこそこにして英語圏で日本ベンチャーとして大きな存在感を出すというのもあります。こちらのパターンの方が難易度も高くハイリスクではあります。
サッカーでいうと国内で優勝するか、リーガエスパニョーラにチャレンジするかでしょう。
量子コンピュータというゲームチェンジができるテーマにおいて、MDRは国内で唯一海外にチャレンジできる立場なので、ここは期待を背負いながら慎重に進めていこうと思います。
また、世界にはたくさんの才能があります。そういった才能の方々に紛れて話をしていても日本もあまり能力としては大きな差はないが、コミュニティとしての差があり、国内で萎縮するか海外に出てチャレンジするか気持ちの持ちようかなと思いました。
技術
MDRにはたくさんの技術が眠っています。そして今年は論文をたくさん発表するだけでなく、多くの独自技術をサービス化するでしょう。それらを実現するには日本は少し平和すぎる側面もあります。世界で競争するにはたくさん働くというよりもたくさん勉強するというのが大事になってきます。論文を読んで実装して自分で論文を書く。実装と発信を英語で交互に進めていくことで世界での存在感が出せるのではないかなと思います。
エンジニアとしてのスキルも大変大事で、海外の方々のウェブや機械学習や深層学習のスキルはすごいものです。そういったスキルがそのまま量子コンピュータの分野でも複合して迫ってきますので、手前の技術も先の技術も毎日エンジニアとして気を抜かないというのが大事になってきます。
結論としては量子コンピュータエンジニアはできるだけたくさん英語で実装して発表するです。
以上です。